「絵」の話がでてきたので、少し突っ込んでこんなことを考えてみたいと思います。人間が生み出したとされる「芸術」の世界です。 人間だけが「芸術」を創り出したのかどうか?は疑わしいところですが( 花の模様や形や私たちには到底創り出せない命を彼らは延々に作り続けています ) 「芸術」の本質はシンパシー【sympathy】にあると。( このシンパシー:シンメトリー【symmetry】と語源的は同じではないかと思われます。)私は思っています。 「芸術」が共感を求めるものと考えると「花」は「花」を取り巻くものにこの「共感」を創りだして私たちに「いい香り」とか「綺麗!」とか言わしめていることになります。この「共感」を人と人とがする場合どうなるか?「綺麗な夕焼けだね!」「きれいな海!」とか同感を求める、「見てて!!」と共感しようとする、あるいは求める。これは人間が「同じ」存在なんだ!だから「ひとりではないんだ」と確かめ合う行為だと思います。これが「芸術」を産む素地と考えられます。この「同じ」を求める行為こそが「社会」や「社会の普通」を求めるの根源的な欲求にあるとすれば、「違いを認めあう世界」はなかなかそう易々とは生まれてはこないのだと思います。 「左右対称」の逆さ文字、シンメトリックな「ヒエログリフだけを『神聖文字』『聖刻文字』と呼んだのも」なにかそこに大きな意味がある気がしてなりません。 因みに音楽の世界に「シンフォニー」【symphony】という言葉があります。「交響曲」をこう呼びますが、本来いろいろな要素をもったものが交じり合い調和し様々な効果を生み出すことをいいます。わたしたちの今の世界で一番求められていることのように思いませんか。「違い」が交じり合って調和する世界を目指したいものです。
2015年 5月 1日
ながの ひろゆき