文字に至るまで・・・・・は

文字に至るまで・・・は「絵」などで、ものの形を表したり、数を表したりしていたと考えられています。人類が共存してゆくために共通の認識を持つ必要があったからです。しかし、現在でも「字」を認識したり(識字率)、書くことが出来る人たちは世界人口の約60%と言われています(統計が正確には取れないため)。「言葉」によってのみ生活をしている人たちがまだ多く居るということです。( 生活を営むための最小必要限度の言語によって生活しているということ )

そう考えると 今の世界でひとつの面白い現象があります。                                                                「言葉」(話す)というコミニケーションと「書く(描く)」というコミニケーションが入れ替わりながら使われています。 ( 新しい世界のコミニケーションの仕方で、携帯電話を使って「話す」(会話する)事が手紙を「書く」という文化をなくしてしまうのかと思っていたら、又、(メールする)「書く」という方向へ方向転換しています。) ただし、ただし、この 場合の「書く」という行為は以前の「書く」という行為とは異なります。筆をもって「書く」のではなく「打って」文字を出す、あるいは探し出す。なのですが。

「打って文字を出す」という行為には「筆順」が存在しません。「手」の運動によって「脳」が覚えた文字をキイを打つだけで「出す」。(これはほとんど現在ではロボットでできる操作です。)・・・・このことは後程、機会をみてお話ししたいと思います。ただ、「石を打って・・・彫って」「刻む」という行為(はじめ人は土や柔らかい石版等に彫って絵や文字を描いたと思われます)につながる話なので面白いことです。

話をもう一度グーッと戻したいと思います。「言葉」と「文字」の世界の違いは何だと思われますか?次回はここから又お話しします。