一極集中

「一極集中の弊害」・・・・・・・
東京、新宿歌舞伎町、原宿、など、など挙げればきりがない。東京の街は一極集中によって土地の高騰が半端ない。
テナント料などは家主の言いなり!が当たり前。だから今回のようなコロナの影響が出ればその家賃を補填するなどあり得ない額になるわけです。
たった一つの街「新宿歌舞伎町をロックダウン」となればそれを補償する額は計り知れません。
あらゆる災害を想定しても「東京一極集中」は日本にとって最悪のシナリオとなるのは間違いありません。それでも「東京ファースト」を叫んでいる日本の政治家は「田舎の東京憧れ組」としか思えません。
「都」を「江戸」→東京へ移した時点で先を見通した手を打つべきだったのに何故それが出来なかったのか?
簡単な理由です。明治政府を作った彼らは長州や薩摩などの田舎出身であり都会に対する憧れ組が作ったからに他なりません。何でもかんでも東京に集中させたことでこれから起こる自然災害に対してはぜい弱な環境に日本はあります。
東京から離れた都市のコロナウイルス感染率の低さはそのことを証明しています。ただし、東京を真似た都会は別ですが!
「お金の一極集中は公務員にも」・・・・・・
国会議員のボーナス全額支給!!が取りざたされています。
でも、よく考えれば彼らは高給取りになるために選挙でお金をバラまいている人たちですよ!社会が、国民が、こんな状況にあっても、貰えるものは貰う!というのはこの人たちには当たり前なのです。どんなに社会的に困窮している人たちが出ていても、与党も野党もこれに反対する政治家がいないのが今の日本の政治、政治家の現状であることを国民は知っているべきなのです。残念ながら、これは単に国会議員に限らず、税金で給与を貰う公務員全てにも当てはまります。
彼らには大企業並みの給与が国から保証されています。どんなに格差が生まれようと貧富の差が出来ようとも問題ではないのです。これを基準にする国家公務員は当たり前の様に一般庶民にはあり得ない状況でもボーナスが出る!という仕組みです。これを認めてきているのは私達物言わぬ国民であることを改めて考えるべきです。

人類はこのまま終わるのか

文明の行き詰まりを感じていませんか?
人類の行き詰まりと言ってもいいでしょう、
新型コロナウイルス感染症で起きた人間社会の前と後で
何か変わったでしょうか?
感染力を進化させ増大させ猛毒化してくるコロナウイルスに対して人類は生きていく社会の変革は殆ど変えるつもりはないようです。
これまで争ってきた国とも、格差社会も、偏見と差別も何ひとつ変えるつもりはないらしい。いえ、以前より悪化しているかもしれません。
教育も同じように子供たちは大人の言う社会に馴染むよう塾通いをし、学校も同じカリキュラムで受験のための学習を再開しています。
「3密を避ける社会」はもう一度人と人とのコミュニケーション
の大切さを学べるいい機会だったのに人は「今まで通り」を続行するために、ネットやオンラインをより声高に叫ぶようになっています。
二次感染を予告しながら人間の暮らし方は殆ど基本変わっていなません。マスクや手洗いなどは社会の在り方の変化ではありません。

地球が滅びる前に人類が滅びるだろうと・・うすうす
感じているのに口には出さない科学者はかなりの数でいるだろうと私は思っています。
「多分言ったところで、今生きている人間にはそれを確か
める術はないのだから」・・言わぬが花と決め込んでいる気が
してなりません。
しかし、これは
その昔、だれかが言った予言等というものではなく、かなりの確率で起こりうる事実だと私は思っています。
私の「感」で!私の「感」はかなり精度が高いので本当に心配しています。

何とかここまで漕ぎつけました。

意外と根気強い!自分を発見しています。他の人の目を気に掛けないのが良い事かどうか?キッシーを観ていると、やはり、長所・短所は裏表だと・・気づきます。
その点、このコーナーもユーチューブも任意なのでOKだと思っています。
で、今はこの段階です。
本にはなっていませんが・・・・・・

L&R講座 実践編

 

新しいメディアとの苦戦

挑戦しようと思ったのは「ユーチューブ」
さんざん書籍出版で何とかならないかと迷った挙句、L&Rのメッセージを伝えたりみんなに参加してもらい、体験してもらわないと、伝わらない事もあので「ことば」で伝える手段が一番!と思いました。
けれど、これが又、手強い!
「役者不足」に加えこの映像を上げる為の準備が大変らしい。
「中身で勝負」は「書籍なら」ではの事で「見栄え、聞き応え」が大切な手段なので、おいそれと「撮ってあげる!」ではどうも
いかない。放送大学をTVで観ると面白く話し、又、見せる事の出来ている講師と、内容以前に面白くなさそうに講義をする講師が居て、「あ~こりゃ、学校に通っていた時と同じだ!」と思ったから余計にこれは大変だと思ったわけです。では、どうするか!
これが、これからの「課題」中身はいくらでも濃くできるけれど・・・

で、ユーチューブで検索していくと・・
何やら「ユーチューバ―」というものに出会っていくことに、
これが「もしかしたら」引っかかっている事か?
なにも「ユーチューバーになる為に立ち上げる」わけではないが「立ち上げた以上は沢山の人に見てもらわないと意味がない!」
でも、そもそも私のメッセージ性の高いかなり変わったものに「役者でもないのに」演出までして・・・などとまたまた、迷い初めている・・・そうこうして
決断力に欠けるのも結局「お金:コスト」がまたまた、かかってくるというジレンマによる!と今は結論しているが・・・
若かりし頃、現在の仕事を続けるのに「そんな事を考えたか!」というと全くなく「夢」だけで生きられていた筈で、それはそれで不可解な「若さだけが頼りの自分」がいたことに気づいて、「すごい!」と自分に感心したりしている。

花壇をつくる人と植物のはなし

 

先日も整地されたところにほったらかされている
花を摘んできました。
きょうはいつもお願いしている農家の方の処へ・・
少し曇った同じ天気のような表情で
「あそこの畑は売ったのよ!家は跡取りがみんな嫁いじゃったから・・
そんなタイミングで市や県から話が来てね、・・
・・介護施設を造るっていうから・・・・」
回りにはいろいろ言う人はいるけれど・・・・・・・・・   」

紫陽花の花にはいつもの様にカタツムリがいました。
当たり前の様に・・・でも、なんとなく紫陽花の花達、元気が
無い気がしたのは何ででしょうか?
丁度小雨が降ってきて、紫陽花にとっては気持ち良い筈なのに・・・・
これからの事、何となく知っていて泣いていたのかも知れません。
すでに茎が折れていたりするのもあって、それは「いつも」の
背の高さを超えるしっかり育った紫陽花の姿なのになにかが違う紫陽花の景色です。
「今年で君達のも会えなくなるんだね!・・・
長い間ありがとう・・20年以上だもんね!・・ 」

人が大切に育てた筈の花達が、やっぱり人の都合で
切られて捨てられるのは余りに寂しい事です。
学校の花壇のチューリップ、花が枯れこれから「種が出来る」
けれど、新しい苗を植えるから、と折り、抜いてしまう。
何か今の世の中を象徴しているようで悲しいです。
カタツムリの住むところが無くなるのが心配です。

 

毎日が生前葬

 

このところレコーダーに撮り置いたNHK朝ドラ「まんぷく」を
感心と関心を持って見ています。

この間は福ちゃんお母さんが夢で出てきた「さきちゃん」の言葉で
突然気が付くシーンがありました。
このドラマは即席ラーメンが開発される実話に基づいて作られているから、
そのアイディアが生まれ、それを実際に売っていくというとても
仕事をやっていく上に具体的なアイディアと心得を教えてくれるます。

(そんなところを見ている人達も多い気がします。)

で、福ちゃんのお母さんの気づいたこととはというと
「生前葬」をする事でした。
結核で早逝した「さきちゃん」が大切な時に夢に出てきます。
この時も病気で入院したお母さんは「私はいつ死んでもおかしくないのよ!」と、
歳をとっていく事に不安を感じ始めていました。
そんな中、お母さんの夢に出てきた「さきちゃん」にお母さんはこう問いかけます。
「早く死んでしまって心残りでしょ!」
「さきちゃん」は、こう答えるます。
「私はみんなにありがとうを言えたから幸せだったよ!」と答えます。

いつも思ってはいたけれど、「あ!そうでした、それでした!」と口か洩れるほど
大切な台詞がこのドラマには散りばめられているのを、もう一度実感した瞬間です。

「人はいつ死ぬか判らない!」でも、その死ぬという事自体より
人はそれまで出会った人たちに「ありがとう!」を言って死ねないのではないか?
と言うのが一番悲しくて、辛いのではないかなのです。
であれば、どうしたら良いのか?勿論福ちゃんのお母さんの選択「生前葬」も
有りですが、一番は毎日毎日、その時その時、を「ありがとう」を
唱える続けながら生きる事ではないでしょうか。

どんな時も誰にも「ありがとう」を言い続けて生きる!
何とか、というか心からそういう生き方をしたいと思いました。

生贄を飾る人々

 

かなり、恐ろしい題を付けてしまいました。でも、私にはそんな感じがピッタリなのでお許しください。

私は 昔、「ドライフラワーを作る」、次に「原色ドライフラワーを作る」
最後に「それを金や銀の花に作り上げる」ということをしていました。
それが、花の仕事をするようになったきっかけです。
その私が言う事ですから、是非聞いて下さい。
この頃又、初めから「出来ればドライフラワーになる花を!」と注文される客様が多くなっています。
  「ドライフラワーを飾る」 方や「ドライフラワーを作る」人たちの気持ちはとてもよく解ります。
 「この綺麗な花をいつまでも取っ手おきたい!」
この気持ちは花が好きでないと起こらない気持ちです。

「下絵を描いたキャンバスに生の花を貼り付け、枯れるのを待って、作品を作る方が居られると聞きました。
「芸術とはそういうものだ!」と思われる方には私の思いは伝わらないかも知れません。
これも昔、「ながのひろゆき 花と風の学校」のデザイン展で「二十年後のウェディングブーケ」という作品を出しました。いろいろな思いを込めた作品です。この時使ったのは「全てドライになった花達」です。決して敢えてドライにした花は使っていません。

綺麗なドライフラワーを作るためには、
● 今!綺麗に咲き始めた花を使わなくてはいけません。しかし、
大切な贈り物、大切な日の贈り物、自分でも他人への贈り物でも初めから逆さにして吊って飾りたいでしょうか?私には出来ません。
美しい物をそのまま!可愛い物をそのまま残したい!という気持ちはきっとそれを大切にしたいと思う方たち程強くあると思います。しかし、それは「欲」です。「欲」は否定しません。がいま、そこにある美しい命を大切にする事の方がもっと大切だと私は思います。いつか、いつの日か形ある物は失われてしまう。だからこそ私達の「心」にこそ留めよう!皆さんに知って欲しいと心から思っています。

だから、短くとも美しく生きようとしている「花」を飾って下さい。
日本では花は「飾る」ではなく「活ける」なのですから・・・・・・・!

今日は「逆さ文字の話」ではなく、「花を逆さに飾る話」でした。

P.S

「仲直りの為の花」
少しでも早く「仲直り」出来る事を祈っています。
だって、一日だって、ほんの少しの時も大切な大切な人生の時、
「仲良く」暮らす事はとても大切ですから。

 

HIRO

 

 

 

 

風はみえますか ・・・・・・・2

 

「数学で導き出された、錯視の世界。
「数学は元来解っていることを説明する」ものとして
考えられているけれど、新しく作り出すことも出来る。という
思いで様々な錯視が起こる物を作り出している数学者が居られます。」
明治大学先端数理科学インステュート特任教授の杉原厚吉さん等です。
但し、何故「錯視が起こるのか?」は解かれていないと・・・

これに対して「逆さ文字の世界」では明らかにこれが長い間 「脳」が
置かれてきた環境とその環境を作ってきた人間によると考えます。
例えばこの錯視の世界で顕著なのが人は「直角に観る」という癖が付いているのではないか!という仮定です。即ち、人が生きているこの生活空間が殆ど「四角い世界」になっているため。と言うものです。

最近、お店の近くの旧東海道筋の街並みまで高層のマンションが建ち始めています。これによって「空が四角くなる」という現象です。都会では多分見上げても「空は四角く」切り取られています。

こういう環境が当たり前になった時、人間の脳は多分「空は四角い!」
と判断するようになるということなのです。
これは「今の当たり前」を疑え!という逆さ文字の世界と共通しています。
そして、大切なのは「学習」する。というのは「脳」のひとつの作業で、「思い込む」という事なのだと私は考えています。

 

錯視の世界

 

 

 

 

風は見えますか ・・・・・・・ 1

 

以前、雲南省 ・ 麗江に行った折図らずもそこで
古くからの雲南の音楽を紹介する会場で「竹鼓」を
披露することがありました。今思えば「竹鼓」を演奏するには
かなり難しい環境だったと・・・申し訳なく思っていますが、それでも
そこで聞くことが出来た「歌姫」の歌声に魅了されました。

唄のテーマは「山を渡る風」、・・・・・
で、五オクターブは出るという声にも驚きましたが、それより
驚いたのは「音階が五線譜の音符に依らない」ことでした。
判りますか!
「音階が五線譜の音符に依らない」とはどういう事か?
「音」を五線譜によって分けず、すべての音の波長のまま・・
即ち、自然界に存在する音をそのまま波長の緩い(音の低い)
所からたどって短い波長(高い音)へ移行していく
自然音階と呼ばれる歌い方をされていたことでした。
「自然音階」が正しい名称かどうか?高校のとき習った気もするんですが・・・

いくらここで、言葉で説明しても、五線譜上の音符で音楽を
聞き慣れている私達には絶対、聞かないと判らない!ものです。
現在の私達が聞き慣れている規則のある音楽とは全く異なります。
というより、そもそも「音楽」に規則と言うものがあるのか?疑問を持つ
きっかけにもなるほどそれは衝撃でした。
「音階」についての話はこの際、省きますがそもそも「音」は「音波」、耳に伝わる振動の違いって学んだ気がします。
波長の高低や間隔で「音」が変わる。というものだった気がします。
話が「風」から「音」へづれてしまいそうなので、「音」についてはこの位に・・
でも、何故「音の話」を始にしたのか?だけは説明をします。
私達はよく「風」の音を聞くと言いますが、それは本当に「風」そのものの「音」でしょうか?
多分それは、たまたまそう言っているだけで、実は「風」そのものの音ではない筈です。何かに当たって出る音、即ち、振動させて出ているだけで「風」そのものの「音」ではないということ。
ですから「風の音」そのものの音は誰も聞いたことがない。というのが本当ではないかと考えます。

同じ様に「風に舞う」ものは見ていても、「風」そのものは見ていない!
のではと言うのが、この質問の意味です。

 改めて、お聞きします。あなたは「風」を見たことがありますか?
「風」は見えますか?

・・・・・・・
きょうも青い空を雲が流れていきます。
きっと、空の上の方には風が吹いているのだと・・・・・私達は思います。