「三井の晩鐘」に出会う。

わたしにとって「三井の晩鐘」は絵の名前である。三橋節子という画家 が描いた。

梅原 猛さんの書かれた「湖の伝説」を読み、三橋節子を知った。出身は京都。けれど、三橋節子美術館も滋賀県大津にあり、びわ湖と結ついた作品がほとんどである。

この絵を初めて目の前にした時、涙が止まらなかったのを覚えている。絵のことなど解らず、さほど興味を持たなかった私が初めて「絵」を観て泣いたのである。理由は解らない、ただ、「感動」したのである。

「心が震える」とは、こういうことなのか!と思った。

三橋節子のことは滋賀県の人であれば知っておられる方も多いと思うので今更紹介などいらないだろう。この「逆さ文字の話」にとっては大変重要な点があるので簡単に話させて頂きたいと思う。

既にお気づきの方もおられると思う。三橋節子さんは「鎖骨腫瘍」で右手を切断、右手を失ってから僅か三か月で次の絵を出品、見事、賞までとっているのである。しかも、この絵の迫力は観る者を圧倒する。その左手で初めて描かれ出展された絵が「三井の晩鐘」と「田鶴来」という絵なのである. 絵に関しては私がくどくど言うようなことではないと思うので、是非、実際の絵を見て頂きたいと思う。それより右手切断後、僅か三か月で以前の絵を上回る絵を左手で描いたという点。「逆さ文字の話」では、ここが大変重要な点であることを先ずは覚えておいて頂きたいと思う。

わたしが花屋を京都山科で、はじめたその頃三橋節子さんは亡くっている。

二月二十四日(1975年)のことである。