花壇をつくる人と植物のはなし

 

先日も整地されたところにほったらかされている
花を摘んできました。
きょうはいつもお願いしている農家の方の処へ・・
少し曇った同じ天気のような表情で
「あそこの畑は売ったのよ!家は跡取りがみんな嫁いじゃったから・・
そんなタイミングで市や県から話が来てね、・・
・・介護施設を造るっていうから・・・・」
回りにはいろいろ言う人はいるけれど・・・・・・・・・   」

紫陽花の花にはいつもの様にカタツムリがいました。
当たり前の様に・・・でも、なんとなく紫陽花の花達、元気が
無い気がしたのは何ででしょうか?
丁度小雨が降ってきて、紫陽花にとっては気持ち良い筈なのに・・・・
これからの事、何となく知っていて泣いていたのかも知れません。
すでに茎が折れていたりするのもあって、それは「いつも」の
背の高さを超えるしっかり育った紫陽花の姿なのになにかが違う紫陽花の景色です。
「今年で君達のも会えなくなるんだね!・・・
長い間ありがとう・・20年以上だもんね!・・ 」

人が大切に育てた筈の花達が、やっぱり人の都合で
切られて捨てられるのは余りに寂しい事です。
学校の花壇のチューリップ、花が枯れこれから「種が出来る」
けれど、新しい苗を植えるから、と折り、抜いてしまう。
何か今の世の中を象徴しているようで悲しいです。
カタツムリの住むところが無くなるのが心配です。