「諸説あり!」というテレビ番組を観ていた。今回は「邪馬台国は何処にあったか?」という「諸説あり」だった。この命題は江戸時代からあったもので今も謎のままである。私が好きな教科も歴史、それも日本史(世界史は扱う範囲が広すぎて頭がこんがらがった)。という事で、これはかなり難しいらしいという事は知っていた。 それをさらに裏付けるような話である。しかも現在では日本国中から名乗りを上げているというのだからややこしい。 これに輪をかけて難しくしているのが「遺跡の発掘」である。そこを開発される事にならない限りされないという事なので、新たな証拠が出てくるまでには相当時間が掛かることになる。 そもそもこの邪馬台国も中国の書物三国志の中の魏志倭人伝に出てくるだけのものであって日本にそのような書物も記されたものも残っていないのだから「何処にあったか?」の問題以前ということだってあり得る。魏志倭人伝がそもそも「晋」王朝が自分たちに都合の良い様に書いたものと考えて間違いないので、よそのちっぽけな(邪馬台国の邪も卑弥呼の卑もそれをあらわしている)多分そう思っていた)国のことを詳しく調べて書き綴ることなど有りえない!のであるから書かれている記述が「確かなもの」であるとは言い難い。 前置きが長くなった。私が今日言いたいのは「歴史とは勝者」に都合よく書かれた記録であり、おおよそ「正史」等とつくものはその時権力を握っていたものが作った歴史なのであるという事。「敗者が残す歴史」などはある訳もなく。あるとすれば勝者が打ち滅ぼしたものの祟りを恐れ、建てた「墓」か「墓標」か「寺」か「神社」だけなのである。 であるから、「逆さから観た歴史」はいつも大きな声を挙げて訴えられるものであり。いつの時もその時の権力にとって都合のいいものではないのである。今ある寄って立つ権力を正当化するために、残されてきたものの「歴史」だからである。 「逆さ」の歴史は、故に作れないのである。
「逆さ」の世界 ・ 歴史 |