今回は 「書く」という行為を運動系で考えてみたいと思います。
最近はどんどん「書く」という行為が「打つ」という行為になって来てい
ます。これはこれまで築いてきた人間の文明にとって大きな変化であり
又、問題を含んでいます。そもそも「書く」という行為には「方向感覚」が
関連しています。一本の線をどちらからどちらに引くのか?斜めなか?
上なのか?下なのか?・・・・・など普段意識せずに使っているこ感覚は
「方向感覚」と呼ばれるもので、道や場所を特定して探したりするため
にも大切な感覚です。
道を探す!自分の位置を確かめる「ナビ」という便利な道具で、この
感覚を使わないでいるとどうなるのか?
そうです、突然に自分の居る「位置」が判らなくなります。
これは最近の研究でも言われ始めていることです。
本来人間は周りの様子を観察しながら居場所を特定し、目的地を探し
てきました。
これが最近は道を行く人が周りを観察しながら歩いているより「スマ
ホ」を見ながら、前さえ見ないで歩いています。
道もない森を歩く時から「方向感覚」を磨いてきた人類が、舗装され、
なるべく障害のない真直ぐな道を前さえ見ないで済むようになることで
人間は「方向感覚」を失っていくことになります。それが「文字」を書かな
いで「打つ」という行為が拍車をかけることになるのです。「打つ」という
文字の書き方には「方向感覚」がいらないからです。
確かに「便利」なこともある、今、私が行っている「打つ文字という書き
方」皆さんはどう思われますか?
手の中でひとりゲームをする事とみんなで外で体を使って遊ぶ事は
未来ををどう選ぶか!!という意思がなければならない今がありま
す。