「歰」という文字

 

最近、なぜか思い出したように「辞書」を手にとることがある。パソコンをわざわざ開いて「検索」するのと、どちらが面倒か?は判らないが、「辞書」は重く「活字」も小さいため、老眼鏡に虫眼鏡をもって見なければならず、不便ではある。

それでも、その重さに匹敵する人間が紡いできた歴史を感じる事が出来るのは「辞書」ならではないか、と思っている。               辞書の初めから大まかに読み進んで、「一」から見ていく。「一」に纏わる「孟子」などの言葉を引用されているものまで見ていくと、とてもではないが全く先に進まない。未だ二日もかかって一ページを読んだだけである。しかも、こんな脚注「463頁」まであれば尚更である。そしてその「463頁」で見つけたのがこの「歰」という文字だった。           はじめて目にする文字は「じゅう」あるいは「しゅう」などと読むらしい事そして、この文字の成り立ちが「止」という文字が上下左右逆さで書かれていて、「進もうにも進まれない様子」を意味するとある。       逆さ文字どころではない、文字そのものが「逆さ」を利用して作られていたのである「左右逆さ文字で在り、上下逆さ」なのである。                                    たった一ページ目の「463頁」というだけの指示でここまで来てしまう事に畏れさえ感じた。以前「舟を編む」という映画を観て、本(三浦しもん著)を読み、感動した事を思い出した。                                「辞書」を手に取ってこの感動を事実として味わっている気がした。   ここに詰まった日地の歴史と人の思いはとても残り少ない私の一生では受け止めることなど不可能である。と思うと同時に、だからこそ、ひとつひとつこれを編み、紡いだ人たちの思いを大切に観ていこうと思ったのである。そして、これからどんな文字に出会うか!興味深々でもある。