75年前、14歳で 終戦を迎えた 母の話。
空襲が ひどくなるということで、自宅の ある 東京から 親戚を頼って 岩手県釜石へ 疎開。
両親より 一足早く、義姉と二人で 汽車に揺られ 途中 仙台で一泊して やっと着いた 疎開先。 離ればなれになった東京の お友達が なつかしくて 仕方なかったそうですが、しばらくすると 釜石にも 艦砲射撃があった為に そこから又 疎開...。
バスに乗り、
新たな 疎開先へ 向かった日が 1945年 8月15日だったそうです。 ラジオ放送があった時は バスの中だった為、目的地に着いた時、
学校のグランドに 大勢の大人や子供達が ひれ伏して泣いていて、 お昼の放送が 終戦を知らせるものだったと知ったそうです。
戦争が終わって一番 うれしかったのは、
夜、明かりをつけられること。
空から 怖いものが 降ってこないこと。
本当に 嬉しかったそうです。
母が 体験してきたこと、
こうして 話を聞ける 今、
しっかり 聞いておきたいと 思っています。
母のアルバムに 残っている 一枚...
可愛がっていたネコの タマちゃんは、疎開前に いつのまにか いなくなり それっきり戻ってこなかったそう...
P.S. ひろちゃん
お母さんから聞く事は宝ものです。些細な事もみんな
いっぱい、ちゃんと聞かせてもらいましょう。
釜石から次の疎開先は何処ですか?
疎開先での話もいっぱい聞いて教えてください。
OTURU