わたしの実話 !! 

 

このページの後にキッシーの話が来て欲しかったのですが

 

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             第一幕

「 こういう時の先生というものは淡々としていて欲しい 」                                             それにしても付添いの若い看護士さんまで淡々として、         「 それではベッドの上で横になってパンツを下ろしてください、」    ニコッ! などとされるとと、この歳でも、というかだからこそかさすがに天にも昇る恥ずかしさ、なのです。

「 なんで、よりによってこんな時、可愛い看護師さん!」 それにこういう時って席を外したりしないの? ですか?などと、モゴモゴ心の中では思っていたりしている間も!「 ではちょっと見てみますから 」と、先生はどんどんお構いなく進行していきます。

で、「あ~これは手術しましょう!」    で決まり!

ここまでの おおかた20年余り覚悟をして受診に至ったあれやこれやが、どれだけ大変だったかなど全く関心がなさそうだし心の悩みも・・ 一切のコメントは聞いてもらえそうにない!                「では、7月の11日は大丈夫ですか、月曜日!・・大丈夫?!?」     「はい」 お願いします。                             このあっさり感は快感。                            で期待と不安なその日がついにやって来るのであります。

              第二幕

みなさん!( とはいえ知っておられる方には・・・)ですが、手術室には歩いて入ってゆく場合もあるって知っていました? あのドラマや映画で観るような切迫感は全くないのです。

「 はい、こんにちは !」 と、一応水色の手術服を着た先生が居られるからやっぱり私の手術がされるんだと判る。               なんとなくすっきりした部屋、真ん中に左程高くない手術台らしきもの      「 あっ!はい、よろしくお願いします。」                                      「 それでは 始めますから  ・・・・・ ベッドに、 ・・・ 」         あ~今日はあの看護師さんいないみたい、多少がっかりしながらいつものポーズをまるで昔から知っていたかのようとる。                        それにしても皆さん!突然ですが自分のお尻の穴!って見た事ありますか? 私はこの間の診察で初めて先生と並んでそこに映った画像を!一緒に観させて頂きまた。敢えてそれに対して敬語です。     幼い日、おしりがムヅムヅして、母親に「もうもうして!」と言われて白い小さな虫、(蟯虫:3~5ミリ)をとってもらって以来( 勿論その時も自分のおしりの穴など直に観る事が出来ませんでしたから )まさか他人と真正面から画像をデン!と見せられた時は口には出しませんでしたが、すごい感動でした。しかも二十数年来痛い思いをしてきたこの私の身体の一部でもある部位です。思わず「ほっといてごめんね!」と言いそうになるほど。。生まれてこの方ずーっと見たことのない自分のおしりの穴!の様子。ぷっくりと出てしまった痔核はぷにょぷにょしているようです。意外に可愛い?

           第三幕

この体験をしっかりと書こう!と思ったのはつい一年前から「介護するのも介護されるのも」自分の「うんこ」を好きになること!と思ったからです。人は「食べる」ことにはとても気を使う。いくらでも美味しいものを追及しますがこれは「出す」という行為即ち「うんこ」が常に出ないければ出来ないので「生死」に関わる大切な事。ですが、人はこの「うんこ」に対して自らのものであっても非常に疎みます。               まるで「放送禁止用語」か破廉恥な言葉扱い、差別用語の「うんこ」。これが日常に定着するのは良いのだろうか?「大便」と「うんこ」では「心の決まり方が違う。「うんこ」の方が「うんこ」に対して優しい気がするのです。  「うんこ」に優しくないと人の「介護する事」にも自分の「介護される事」にも苦痛でしかなくなります。でも、人は食べなければ生きてゆけません。という事は「うんこ」はちゃんと出し続けなければならないのです。                                      そう言えば昔っからキッシーは、                        「わー!観て下さい。今日のは 絶対!ちゃんととぐろをまいて良いうんこです。などとトイレの扉を開けて待っているんです。  とてもじゃないけどと思った人は失格です。わたしはだんだんこれに慣れて失格しなくなりました。

ついでの話ですがその昔、人の口に入る食物、主に畑で作られる野菜は人糞(うんこ)を肥料に作られました。 私が

ご幼少のみぎり、戦後、文京区西片町(東京山の手)でも肥桶を担いで家々を回り、(ぽっちょん便所と言われるトイレ)から「うんこ」を、お金を出して買われる「肥桶屋」さんがいました。今はバキュームカーでさえ( 大小便を吸引してくれる車 )殆ど見なくなりましたが、当時この肥桶屋さんが居なかったら誰もが困った筈です。この肥桶屋さんは江戸時代以前からあったようで、もちろん納豆売りや豆腐屋さん、シジミ売りなどと同じで 「肥桶屋さん!」と呼びとめてお願いしていました。( 定期的に来られる場合もありましたが )人糞は畑の肥料として貴重で、そこそこの稼ぎになったようです。 こんな事があったためこの頃の人のお腹には多少なりとも「虫」がいたようです。そしてこの虫が人間の身体に共生してくれることが大切らしいと最近では解ってきています。                                     どうも私達の生活は自然の循環の中から外れ過ぎてしまっている様です。                                          話を戻します。                                   「 多分、注射の治療でいけると思いますので・・・・・」とおしりの穴の状況を確認して                                    「ここら辺に注射をします。麻酔です。  射す時だけ少し痛いかも知れません」                                       腰の下あたりに注されたなと思ったら「グーッ」とした重い感覚が・・・  「麻酔が効くまで少し待って下さい、どうですか?痛いですか?・・・・」

「では注していきます」ね。                            何やら注されている様ではありますが感覚が殆んどありません。

「はい!あとマッサージをします。」 とおしりの穴辺りをグリグリ!

「はい!終わりです。」

帰りはさすがに車いすでした。

            フィナーレ  であって欲しい 

「どうしようか?手術をしても再発する場合もあるって言うし、・・・」等と迷っておられる方がいたら                            「今の、毎日の痛みからまずは解放される事です!」            と今は私なら言って差し上げられそうです。

そして、この経験によって得られた気持ちの変化がこの記事を私に勇気を持って書かせてくれました。                       何より大切なものは目に見えない 」 と言われるけれど、あれはこの事だったんだと。単に人生訓ではなく、事実私達が知らないままにしている事がある!と心と体で教えてくれていたんだと解らせてくれました。                                         一か月に一度経過を観て下さる度に「 感謝する 」 ということばが自然に生まれます。                                  手術後慣れないおしりの感覚の中で便通がうまくいかない時に行った近所の医院の先生は私のおしりから「うんこ」を出して下さいました。 その後だして頂いた薬は坐薬ですが浣腸とのこと、医術も進歩しています。お蔭で順調です。                             その女医先生がおっしゃった                          「 私もね!けっこう頑固な便秘でね!  ・・・・・ 」と言ってアドバイスして下さったいろいろな事、                                女医さんだからと思って何気なく敬遠してしまっていた思いの浅さを感じながらその医院を後にするとき、入れ替わりに若い女性が入って行きました。      とどめの一撃! 」 とはこのことだったと思います。

今回は画像はありません!

                                                     Hiro